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加藤のコラム

加藤のコラム第72号

天気予報の精度に感嘆しています

 

子どものころ、天気予報は当たらないものだと思っていました。中学生のときだったでしょうか、母親から「今日は雨が降るって予報だから傘を持っていけ」と言われ、雨でもないのに傘を持っていることがめんどうでかっこ悪いと思い込んでいた加藤少年は「雨なんか降らねーよ」と反抗的に言い返しておりました。それでもたまにホントに雨が降ってびしょ濡れで帰ると「だから傘を持っていけと言ったでしょ」と叱られ、「うるせー」と口ごたえするような、そんなかわいげのない男でした。かわいげに関しては今もまったくありません。

でも、最近の天気予報の精度はすごくないですか。細かいエリアごとに1時間単位でほぼ的確に予想しているし、すげえもんだなと思います。もちろん科学の進歩があるのでしょうけれど、気象庁の人や研究者の方々が、相当の努力と研鑽を積まれたことも間違いないでしょう。ありがとうございます。

だけど、当たるかどうかわかんないという、ある種の醍醐味はなくなっちゃったなあ。明日遠足なのに天気予報は雨で、てるてる坊主作って念じていたら晴れた!とかという話はほぼ消滅するわけでしょ。天気予報は雨だけど晴れ男がいれば大丈夫だという一発逆転みたいな話もなくなるわけでしょ。ちょっとさびしいですね。

確かにほぼ当たる天気予報は、人々の生活を楽にします。ありがたいことです。でも、先の予想が当たらないというのもやっぱりおもしろいですよね。だって、占いが当たったらおもしろくないでしょ? あなたは何歳でこうなって何歳でこうなりますよと言われてその通りになっちゃったら実につまらない。ボクは当たらないからこそ占いの存在価値があると思っている人間なので、占い師の方々はどうぞ安心してお仕事をなさっていただきたいです。

話が占いのほうにそれちゃいました。天気予報に戻しましょう。
今は精度の高い天気予報に人々のニーズが寄っているわけですけれど、「私の肌感覚から言えば、明日は他の多くの予想に関して晴れますね」なんてことを伝える、風変わりな天気予報がひとつくらいあってもいいかなと思います。「あの予報、また外れたわ~」といじれるし、ごくごく稀に当たったときに「当たることもあるんだな。たまーに信じてみるか」という逆説的な天気予報の楽しみが生まれます。

つまり、みんながみんな同じじゃつまんないでしょ? ちょっと違った価値観を認める懐があったほうが社会に深みが出ると思うのであります。

 

自閉症者地域生活支援センターなないろ  加藤 潔