» なないろリレー第七走者自閉症者地域生活支援センター なないろ

なないろリレー

春から地域支援となりました前原です。

中幡さんは今年(2022年現在)15年目。
グループホームに3年、石狩ぽけっとに6年、西で4年、東で2年目となる大先輩です。
幾つもの会の主催をするジ・オーガナイザーにインタビューしました。
(文:前原一平 写真:中幡恵太)

中幡恵太(なかはた・けいた)
東ぽけっと

1985年札幌市南区石山生まれ。
靴のコレクションは60足。
世がスニーカーブームとなるちょっと前から靴が好き。
その数なんと60足……!
気に入ったのが出ると購入。
鑑賞用ではなく履いているとのこと。
でも、まだまだ履ききれていないのもあるのだそう。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

―自分の印象に残っている一番古い記憶は何でしょうか。

中幡:小学校の頃はやんちゃで鬼ごっこで人の家の窓から逃げたり、実家の裏の山を一人で探検に行ったりしていました。

―一人で探検ですか。ちょっと意外ですね。
「あの頃と今」といった、「かつての自分との区切り」はありますか。

中幡:9年前です。
Iさんと関わる前までは仕事に力を入れたり、こうしましょうと言うことは余りなかったです。
そこが社会人としてのターニングポイントです。

―Iさんに引っ張られた?

中幡:凄い厳しかったし、社会人マナーとしていろんなことができていなかったから怒られました。
悔しくて悔しくて、その悔しさは本人にも言ったけど。
怒られてやっていく内にいろいろ沁みついて、こっちのスタイルの方が自分には合っているんだなと。
それからあまり飲み会などでも騒がなくなりました。
それまではウェイウェイな感じだったんですが。

―自分の中の区切りは仕事前にもありましたか?

中幡:そうですね……、仕事からだと思います。

―出会った頃からですが、オーガナイザーの印象が強くあります。
組織立てたり、きっかけとなる最初の一言を出す人。
先ほど伺った、「一人で山で遊んでいた」と云うエピソードが意外でした。
オーガナイザーとなる資質やきっかけはありましたか?

中幡:昔からっぽいですね。
僕は割と部活でも小学校のバレー部で部長で、高校はボランティア部で部長で、大学でも部長だったんですよ。
能力というよりは皆やらないと「こうじゃないか」とか言いたくなっちゃう。
昔からそういう仕切り屋なのかな。

―:むしろ一人で山の中に行けるからこそだったのかもしれませんね。
この仕事を辞めようと思ったことあります?

中幡:何回もあります。
グループホームの3年目でも辞めたくて階段で泣いてました。
あの頃は連勤が多くて見通しもなかったですから。
ぽけっとに入って3年くらいやったあたりで、教員をもう一回目指したけれども落ちて。
3年か5年おきくらいで違うことやりたいと思うと、違う職種になったらできんじゃねえかと芽生えて。
辞めたくなっちゃうけど、こっちに戻ってきちゃう。

―根っこは「違うことをしたい」、そこなんですね。
では、今の仕事の醍醐味はなんですか。

中幡:ここ(なないろ・東ぽけっと)に来て結構新しいことをしても許される。
加藤さんもまずはやってみろ、やってから修正すればいい、と言ってくれる。
どんどんいろんなことに挑戦させてくれるから性に合ってるというか。
凄い楽しい。やりがいがあって。

―個人的に15年以降はベテランという印象があります。ご自身でどうですか。

中幡:全然ない。

―自分の捉え方はどうです。中堅?

中幡:外からの煩い人。僕嫌われてるんだなと。
ベテランと思ったことはないな。
ちょこちょこ口を出したりするから、嫌がっている人は一杯いるんだろうなと。
警戒している人は一杯いるんだなと。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

嫌うどころか中幡さんと仕事すんの楽しいですよ。

慣れないことして息も絶え絶えですが、なんとか汗でべたつくバトンを中幡さんにお渡しできました。
次回もお楽しみに。