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加藤のコラム

加藤のコラム第22号

服装は安心させるためのものという加藤理論

 

いわゆるちゃんとした服装が苦手です。それは子どものころからで、何かの集まりのときにブレザーみたいなのを着せられるのがとにかくいやだったという記憶があります。

3年間関東で仕事をしていましたが、そこはちゃんとした服装をしないといけない職場でした。多くの人が「加藤さん、ネクタイできるの?」と心配してくださいました(ボクもネクタイは結べます。すぐに外したくなるだけです)。一応、最初のうちは猫をかぶってネクタイ締めていましたが、幸運なことにクールビズの期間というのが5月から9月まであり、その間はネクタイしなくてもよかったので、クールビズはなんてすばらしい制度だろうと感じていました。しかし、物事には終わりがつきものですからクールビズ期間にも終わりがきます。通常期間に戻ってからはもはやネクタイをする気にならず、ほぼほぼしていませんでした(ジーパンとか短パンでは出勤しませんでしたけど)。一応職場にネクタイは置いていて、とりあえず何かのときには着用できるようにはしていましたが、置いとくだけでした。

「加藤、社会人としてどうなんだ?」というお叱りの声が聞こえてきますが、ここから言い訳がましい身勝手な理論を展開します。

大工さんが背広を着て仕事していたら「この大工さん、大丈夫か?」と思いますよね?大工さんらしい恰好をしていたら安心しませんか?リゾートビーチで日本代表の方々が身に着ける競泳パンツとスイムキャップにゴーグルしていたら浮きますよね?リゾート用の少しおちゃらけた海パンが似合いますよね?お相撲さんがタキシードで土俵に上がったら戦えませんよね?裸にまわし締めて土俵で戦うんですよね?

要は、その服装で安心を示すのが大事なことで、「どうしたんだ?」と思わせない、それが服装だよねということです。

さて、加藤の場合、ネクタイ締めてスーツ着ていたら、多くの人に「何かあったんですか?」と不安にさせます。不安にさせてはいけないんですよ。だから、いわゆるちゃんとした格好をせず、世間から見たら小汚い普段着の格好で「いつもの加藤だ」と安心していただいているわけです。

こういうのを屁理屈と言います。でも安心感は大事なことです。ただ、今年のボクの目標は「『おしゃれですね』と一人から本心で言われる」なのですが、「おしゃれ」は服装だけのことじゃないですから。服装ではこの目標を達成できないなとすでにほぼあきらめております…。だけど、生き方すべてがおしゃれの対象だと思うので、目標達成に向けて全力を尽くします。

 

自閉症者地域生活支援センターなないろ  加藤 潔